【となりまちフォトラリー開催中!ちょこっと裏話1】
先週から「となりまちフォトラリー 」が始まりました!
期間内に3つのコースのいずれかをめぐり、ラリースポットの写真を送ると、抽選で3市のすてきな賞品が当たります。この機会にとなりのまちもぜひ散策してみてください。いつもと違う景色が見えてくるかもしれません。たくさんのご参加をお待ちしています!
▶︎目指せ、となりまちの達人!「となりまちフォトラリー」特設ページはこちら
https://tonarimachi.net/photo2022/
●となりまちフォトラリーをもっと楽しむための、ちょこっと裏話その1●
今回から、ラリー案を企画した「となりまち観光協会ラリー企画部」メンバーから届いた、おすすめのスポットや企画の裏話をご紹介します。となりまちフォトラリーと一緒に、となりまちエリアにまつわるエピソードや、縁のあるスポットもお楽しみいただければ嬉しいです。
ちょこっと裏話その1は、「文学アニメの達人コース」のアイデアを膨らませた企画部グループから、三鷹中央通りの文学スポットの紹介です。
<となりまち観光協会ラリー企画部Hさんより>
昨年11月、瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになられて1年が経ちました。昭和26年、寂聴さんは不倫のすえ出奔し、三鷹市下連雀4丁目の下田商店に下宿し執筆活動を始めます。下宿先の下田商店は、三鷹駅から真直ぐ南にのびる三鷹中央通りを突き当り、連雀通りとのT字路を右に曲がったところにありました。
『戦災に焼け残った西荻も三鷹も、駅は昔のままだった。無人電車が暴走したという三鷹事件の惨劇から二年しか経っていなかったが、駅の南口の広場は閑散として静かだった。駅前から真直ぐのびた商店街も、田舎銀座のような旧めかしい馴染みやすい雰囲気で、人影もまばらだった。』 (瀬戸内寂聴『場所』新潮社)
寂聴さんが下田商店下宿時代に幾度となく歩いたであろう三鷹中央通りには、三鷹ゆかりの文学者たちの碑が建っているのをご存じでしょうか。三木露風にちなむ「赤とんぼの碑」は昭和52(1977)年に建てられたもの。名誉市民で文化の日を定めた山本有三、武者小路実篤、太宰治と亀井勝一郎のモニュメントもあります。これらは、三鷹中央通り商店会・街づくり委員会が発案し、文学者の遺族や三鷹市の担当者が協力して完成させたのだそう。
また、三鷹中央通り無電線化に伴い設置された電線類地中化設備には、井の頭公園、山本有三記念館、国立天文台、阿波踊り、三鷹市星と森と絵本の家が写真で飾られ、三鷹の魅力を感じることができます。
そんな三鷹中央通りの突き当りを右に曲がれば、寂聴さんの下宿先の下田商店跡(現存していません)、その先にあるのが太宰治と森鴎外の墓がある禅林寺です。後年、寂聴さんは桜桃忌のころ再び三鷹を訪れています。
『昔の木造の駅の改札口から見ると、下田へ曲がるT字形の道の涯まで低い屋並の商店街が見渡せたが、今、目の下に広がって延びている商店街の両側には、高層のビルがびっしり建ち並び、昔の町の姿はかけらも残っていなかった。』『太宰の墓の右前には、森鴎外のどっしりとした風格の高い墓が建っていた。鴎外の墓の前にというのが、太宰の生前からの願望だったと伝えられている。京都時代からファンレターを出し文通していた三島由紀夫に、下田の離れから二つの墓のことを書いて送ると「太宰はきらいだから尻を向けて、鴎外先生のお墓に花をまつってください」と手紙が来たのを思い出した。「禁色」を書いた頃の三島由紀夫であった。二つの墓の真中で、私は読経した。(中略)いつの間にか空に雲が広がり、六月の霧雨が私を包みはじめていた。』(瀬戸内寂聴『場所』 新潮社)
寂聴さんの目に映った、三鷹駅南口ペデストリアンデッキからの三鷹中央通りの風景を、私たちは目にすることができます。毎月第4日曜日「M・マルシェ」が開催され多くの人々で賑わう三鷹中央通りは、時空を超えて文化の薫り高き風が今なお流れています。(H)
開催中のとなりまちフォトラリー は12月25日(日)までです。武蔵野・三鷹・小金井の“となりまちエリア”を楽しみながら、たくさん写真を撮ってみてください。